母校・明治小学校区内の二目川地区(ふためがわ ちく)には、「百手(ももて)まつり」という昔ながらの「お祭り」が伝わっています。「お祭り」と聞くと、わたしはカーニバルをイメージしてしまいますが、「日本のお祭りの本来の目的は、神様に感謝すること。祭りという言葉の語源は祀る(まつる)です。神様を慰め、祈願すること、またはその儀式を指す」そうです。
「二目川 百手まつり」も神事から始まります。神事は、神社ではなく頭人(とうじん)と呼ばれる当番役の人の家の前庭に設けられた祭壇の前で行われます。無病息災、五穀豊穣(ごこくほうじょう*1)を祈ったあと、二目川神楽(かぐら)が奉納され、最後は直径1メートルくらいある大きな的に向かって矢が射られ、その年の吉凶が占われます。
昔は県下各地で「百手まつり」が行われていたそうですが、世の移り変わりと共に簡略化されたり、消滅してしまったりした所も多いそうです。二目川の百手まつりは、昔の伝統を守り通しながら約490年続いています。天文年間(1532年~1554年)から続いていると言い伝えられているそうです。1532年というと戦国時代、徳川家康のおじいさん(松平清康)がやっと三河の国(愛知県の中・東部)を平定した年です。490年続けるだけでも凄いことなのに、昔の伝統を守り通しながら続けるということは、並の努力では出来なかったと思います。
きょうも雨の中、庭にテントが張られ、昔ながらの「百手まつり」が執り行われました。二目川という地区の地域力の凄さを改めて感じた1日となりました。
(としひさ)
(*1)五穀豊穣(ごこくほうじょう): 穀物が豊かに実ること。五穀は、米、麦、アワ、キビ、豆だが、時代や地域によって違う穀物を指すこともある。(ネット辞書より)