小さい頃、源氏と平氏の合戦の物語を読んで、『なぜ』と思った場面がありました。那須与一(なすのよいち)が扇の的を射る場面です。合戦の最中に、平氏が小舟に扇の的を立て、「射れるものなら射てみよ」と挑発し、源氏が「射てやる」と、挑発を受ける場面です。『合戦の最中に何やっているの』、と思ってしまいました。
先日、録画していたテレビの歴史番組が、『なぜ』を教えてくれました。
(1)扇の的を立て、射ることで勝敗を占う。当たれば源氏の勝ち。はずれれば平氏の勝ち。
(2)絶対に当たるはずがないので、外させて源氏の戦意をそぐ。
『戦意をそぐ』は、いくらか分かります。『占う』は、やはり、『そんなことをやっていたの』、と思ってしまいます。
もう少し詳しく知りたいと思い、ネットで検索してみました。ネット記事の中に、『風流を解する平家の「扇の的」あそび』という、ドンピシャな項目がありました。
読んでみると、
『当時の平氏の人々は、貴族化していたため、兵たちも風流人のようでした。・・平氏の武将、平教盛が、「平氏はまだまだ負けてはおらぬ、と余裕を見せる余興をしてはどうか」と言い出しました。彼らは「扇の的」を弓で射落とす「戦(いくさ)占い」はどうかと考えました。小舟の先頭に竿(さお)を立てて、そこに「扇」を結び付け、射させる余興です。それは源氏への挑発行為でもありました。大将の平宗盛も「それは面白い!」と話に乗りました。・・源氏から見ると、もちろん単なる余興ではありません。失敗したら義経の顔に泥を塗ることになります。源氏の士気はがた落ちです。矢を外した人は、まず生きてはいられないでしょう』
とありました。
少し詳しく分かりましたが、それでも、『戦の最中に的当てゲーム?』の思いは残ります。
しかたなく、『環境と経験が考え方(価値観)をつくるという教訓にするしかない』と、敢えて、無理やり思うことにしました。
(としひさ)