悲願

としひさより

オリンピックで、野球・侍ジャパンが金メダルを取りました。予選から決勝まで、堂々たる『王者』の戦いぶりでした。対ドミニカ共和国4‐3、対メキシコ7‐4、準々決勝の対アメリカ7‐6、準決勝の対韓国5‐2、そして決勝の対アメリカ2‐0、それぞれの勝利の瞬間、思わず、大声で、訳の分からない叫び声を上げていました。一夜明けた今日8日は、新聞やテレビや、あっちこっちで輝かしい『金』の文字が躍っていました。

ワクワク、ドキドキ、嬉しい気持ちの中で、ふと、『悲願の金』の『悲願』が、心のどこかに引っ掛かりました。どうやら、『王者』に対して『悲願=悲しい願い』の『悲しい』はふさわしくないのでは、と思ってしまったようです。

ネットで『悲願 なぜ悲しい』と検索してみました。画面をスクロールすると、『悲願に悲の字が使われる理由とは?』や『悲願はなぜ悲しい願いと書くのですか?』や『悲願とは、悲願の意味がよく分かりません』など、同じような疑問を持った方の『?』が次々に出てきました。『悲願 なぜ悲しい』と疑問を持ったのが、わたしだけではなかったと知り、少しホッとしました。

『悲願』の『悲』の意味はよく分かりましたが、現実社会のどの場面で『悲願』を使えばいいのか、いまひとつ、よく分からないままです。
(としひさ)

タイトルとURLをコピーしました