思い出

としひさより

妻の実家(鹿児島)から、お母さんと妹が1泊2日で大分に来てくれました。
妻の言葉使いが、いきなり鹿児島弁になりました。

朝、食卓の方から3人の笑い声が聞こえてきました。わたしには、笑い声も鹿児島弁のように聞こえました。行ってみると食卓を囲んで3人で話しをしていました。もちろん、話している言葉は鹿児島弁です。3人ともニコニコしながら話しをしていました。本当に楽しそうに話しをしていました。

わたしたちより1つ上の世代(親世代)が妻と交わす鹿児島弁は、わたしにも分かります。1つ上の世代同士(親世代同士)の鹿児島弁は、わたしが聞くと時々分からないことがあります。もう1つ上の世代同士(祖父母世代同士)の鹿児島弁は、妻が聞いても分からないことがあったそうです。

初めて鹿児島の実家に行った時、残念ながらお亡くなりになってしまいましたが、おじいちゃんおばあちゃんがわたしに話しかけてくる時、わたしにも分かるように分かりやすい言葉で話しをしてくれました。おじさんおばさん同士が話をする時、しばらく妻が横に座って通訳をしてくれないと何のことか分からない時がありました。

懐かしい思い出です。
(としひさ)

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