仕事部屋の、棚に並べた本の中に、厚さ5㎝くらいの本があります。2カ所、紙が挟まっているのが見えます。本を読んでいて、「こころに響く文章や場面」に出会ったとき、近くに置いてあるメモ用紙や、いらなくなった紙を1㎝くらいの幅に定規で切り、挟んでおくのは、わたしの「くせ」です。
棚の、紙が挟まった本を、最後にいつ読んだのか思い出せません。久しぶりに手に取り、開いてみました。
紙のページから「どんな文章・場面が出てくるのか?」、少しワクワクしながら、読んでみました。1カ所目、こころに響いてくる「文章・場面」が見当たりません。2カ所目・・・1カ所目以上に分かりません。少し前のページから少し後ろのページまで読んでみました。2回、3回読んでも、なぜ紙を挟んでいたのか、よく分かりません。
読み返しているうち、「過去に囚われるな(とらわれるな)」というフレーズが頭の中に浮かんできました。過去の感動(=過去の自分)に、「いつまでもしがみついているような」感覚に陥ったのかもしれません。
先日のブログ(10.12感情の整理術)にも書きましたが、過去の自分に囚われ、「思考が堂々巡りする」ことがあります。
堂々巡りしそうになった時、ある言葉を心の中で繰り返すことにしています。
繰り返す言葉は、『かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ、ひろく、ひろく、もっとひろく』です。30年以上前からの座右の名(*1)の1つです。
この言葉は、『松原泰道著(*2) 般若心経入門』の中でみつけました。社会人になりたての頃、『啓蒙の書(*3)』として読んだ記憶があります。当時の薬師寺館長 高田好胤(たかだこういん)師が、この本に寄せて書かれた、『序にかえて』の中に出てきた言葉です。
こころに響く文章・場面の『こころに響く』を、改めて『こころに響く とは』で、検索してみました。『深く感じて、心を動かされる。強く感銘を受け、印象に残ること』とありました。「心が動いて、印象に残る」なら、わざわざ紙をはさまなくても良いか、と思いました。次、自分が紙をはさむか?挟まないか?・・どう行動するか、楽しみです。
(としひさ)
(*1) 座右の銘について、過去に触れたブログ
1.07『期間限定の座右の銘』 3.13『笑門来福』
(*2) 松原泰道師が書かれた本について、過去に触れたブログ
1.08『挨拶運動の再開について』 7.04『仏教入門』
(*3) 啓蒙書:ブログの中では、「新しい知識を与え、教え導いてくれる教育書」という意味で使わせていただきました。