妻の実家は鹿児島です。車を少し走らせると、目の前に桜島が迫ってきます。妻の両親に、「お嬢さんと結婚させてください」とお願いに行った日、初めて本物の桜島を見ました。
遠い日に思いを馳せたのは、ネットの今日は何の日(*1)で、きょうは桜島の日を目にしたからだと思います。ネットには、1914年(大正3年)1月12日、鹿児島県の桜島で史上最大の大噴火が始まった。約1か月にわたり噴火が繰り返された。流出した溶岩で、それまで400m離れていた桜島と大隅半島が陸続きになった、と書いてありました。
桜島といえば、対岸で魚釣りをしたこともありました。鹿児島のお義父さんが大の釣り好きで、妻と子どもたちと一緒によく連れて行ってもらいました。
鹿児島での思い出は、釣り以外にもたくさんあります。その1つは『火縄銃の恐怖』です。
ある日、親戚の皆さんが私たちの帰省にあわせて集まってくれました。
夕食になり、宴会が始まりました。最初、少しビールを飲みました。すぐに焼酎のお湯わりに代わりました。不思議だったのは、手元にお湯わりが入った自分のグラスがあるのに、もう1つお湯わりのグラスが隣から隣にリレーされていたことです。1口飲んでから、隣の人に渡しています。わたしも見よう見まねで1口飲み、隣のお義母さんの弟さんに渡しました。無くなると、また新しいお湯割りが作られます。エンドレスです。何回も何回もグルグル、グルグルお湯割りのグラスが回ってきました。
お義父さんが、この風習の謂れ(いわれ)を教えてくれました。
むかし鹿児島が薩摩と言われていた時代のことです。薩摩隼人(さつまはやと=薩摩の若者)は、酒を飲むとき丸く車座になって座ります。真ん中に、天井から火のついた火縄銃をつるします。火縄銃の先がグルグル回るようにつるします。火がついたままグルグル回っているのでいつ、だれに鉄砲の弾が飛んでくるか分かりません。死と隣り合わせの状況で平然と酒を飲めるのが薩摩隼人、というわけです。時代とともに、火縄銃を回す代わりに焼酎を回すようになった、とのことでした。
宴会が終わるまでグルグルは続きました。なんとか生き残りました。宴会が終わり、布団に行く途中、足がもつれて玄関から転げ落ちた記憶があります。なつかしい思い出です。コロナが終息し、またグルグルが出来るようになったら鹿児島に帰りたいと思います。
(としひさ)