12月4日のブログ、『小学校新設について』を見た方から『お声』をお寄せいただきました。わたしの母校でもある明治小学校と明治小学校区にある大東中学校についてのご質問でした。
ご質問の主旨は、『明治地区に人口がすごく増え、明治小学校がパンク状態です。明治地区に、小学校及び中学校を新設する考えはないのですか?』というものでした。
明治小学校は、今、大分県一のマンモス校になっています。校庭自体も狭く、子どもたちにとっては、最良の学習環境とは言えない状況だと思います。地区住民としては、当然の疑問・質問だと思います。
大分市教育委員会は『大分市立小中学校適正配置基本計画』という計画を作っています。計画の中に、『標準的な規模を超える学校の方策』として、大規模校に対する対応の仕方3つを定めています。
①近隣に小規模な学校や標準的な規模の学校があり、通学距離や規模、施設などに問題がない場合には、通学区域の一部を周辺の学校の通学区域に編入する。(通学区域の再編)
②通学区域の再編が困難で、学校用地の確保はできるなどの条件が整う場合は、学校を分離新設する。(分離新設)
③通学区域の再編、学校の分離新設のいずれも困難な場合は、学級数に応じた施設整備によって対応する。(施設整備)
明治小学校に対しては、学校用地の確保が難しく、③の方策しか取れませんでした。現在は、プレハブ校舎を建てることで対応しています。
12月3日のブログに書いた大在東小学校は、学校用地の確保が出来るので②の分離新設が提案されています。
明治小学校も、過去には2回分離新設した経緯はあります。1回目は、まだわたしが明治小学校に通っていた頃です。
新日鉄や昭和電工といった大企業が、次々と大分市に進出してきました。ベッドタウンとして、明治小学校に隣接する山が切り開かれました。明野団地という巨大団地が出来ました。明野団地に越して来た小学生と一緒に明治小学校で学ぶことになりました。今の明治小学校の生徒と同じように、わたしも5年生の時はプレハブ校舎の教室でした。
6年生の時に分離新設校として明野西小学校が出来、明野団地の子は明野西小学校に移っていきました。更に12年後の1983年(昭和58年)、もう一度明治小学校から分離する形で、明治地区内に明治北小学校が設立されました。
大規模校では、一般的に、
『学年内や異学年との交流が不十分になりやすい』
『全教職員による児童・生徒一人ひとりの把握が難しくなりやすい』
『施設・設備などの利用面から、学校活動に一定の制約が生じる場合がある』
など、いくつかのデメリットが言われています。
教育委員会、学校とも、出来る限りの対応はしてくれていますが、何かお気づきの点等ございましたら『お声』をお寄せください。
(としひさ)