先日(8.19)のブログに「恩赦(おんしゃ)は不思議な制度だと、中学生の頃思った」と書きました。
『恩赦』を不思議と思った中学生が少し大きくなって、『保釈』にも不思議(疑問?)を感じました。
辞書には『保釈とは、拘留されている被告人について、住所限定や保証金の納付を条件に、身柄の拘束を解く制度』とあります。「お金を積めば良いなんて、おかしいじゃん?金持ち優遇?」と、当時は思いました。高校生か、大学生の頃だったと思います。
きのう、改めて『保釈』をネット検索してみました。『保釈 おかしい』という記事がありました。「同じ疑問を持つ人がいるんだ」と思いながら記事を読みました。読んだ結果、「保釈金には疑問が残るが、制度としての保釈は必要かな」と思いました。
「保釈制度が必要かな」と思った記事が4つありました。
(記事1) 勾留された2人(夫婦)は、判決が出るまで、一貫して容疑を否認した。保釈を求め続けた。2人に逃亡の意思はなく、未成年の2人の子どもがいることも訴えた。保釈は認められなかった。無罪判決が出るまで、勾留は3年に及んだ。勾留が解かれ、子どもたちの顔を見たときは、いつの間にか大人の顔になっていた。一番多感な時期に自分だけでなく、妻まで一緒にいなくなった。家族との大切な時間を奪われ、勤務先を解雇され、仕事まで失った・・・。
(記事2) 身柄拘束が長期間に及ぶと、被告人の社会生活におけるダメージがどんどん大きくなってしまう。解雇や離婚など、無罪判決が出ても、社会復帰がスムーズにいかない。実質的に刑罰を受けたのと同じことになってしまう。
(記事3) 身柄を拘束されること自体、刑を受けているのと同じ。
(記事4) コンビニで1万円を盗んだとして起訴された。否認したら300日も入れられた。結局、無罪になった。実際に長期勾留を恐れて虚偽の自白をしてしまったという人もいるという。
以上のような記事がありました。
しかし、一方で、『保釈される人の割合はこの10年で倍増したが、保釈中に再び事件を起こし起訴された人の数も、10年前の3倍に増えている』というデータがありました。また、『なぜ保釈したのか、憤りを感じる』という、被害にあった方の悲痛な声もありました。
『保釈の必要性』と『住民の安全』と、どうバランスを取り両立させていくか、難しい問題だと思いました。
(としひさ)