「会いたい」気持ち

としひさより

この秋、チョビ(我が家のネコちゃん)に『お気に入りの場所』ができました。長男の部屋の前の植木の中です。ポッカポッカのお日様の日、『植木の中』にたたずんでいる姿をよく見かけます。

チョビが我が家に来てから17年経ちました。人間の年齢にすると90歳くらいになりました。学校の横の側溝をコロコロコロコロ流れている子猫を高校生だった娘が見つけ、連れて帰って来たのが17年前(ブログR3.4.9)。この秋、その娘も母になりました。『チョビに娘の子どもを見せてあげたいな』と思いました。

『チョビに見せたい』と思いながら、わたし自身はまだ会っていません。コロナ禍でなければすぐにでも飛んで行きたいところです。会いたい気持ちは強くあります。不思議に、『会えなくて寂しい』という気持ちはあまり湧いてきません。

小さい頃からそうでした。大好きだった曾祖母や祖父母と別れた時も、涙は止まらないのになぜ泣いているのか、自分の感情がよく分かりませんでした。子どもたちが大学生、社会人になり、家からいなくなった時も『寂しい』という感情は無かったと思います。娘が結婚する時も、随分多くの人から「寂しいでしょう」と慰められました。善意を否定するのも気が引けて「ええ、まあ」とか、返事をしていました。

会いたい気持ちは強いのに、会えない寂しさが湧いてこない。不思議だと、自分では思います。
(としひさ)

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