午前11時2分、大分市役所のサイレンが鳴り、皆で黙とう致しました。午前11時2分は、78年前の8月9日、長崎に原爆が投下された時刻です。
『長崎原爆の日』で検索すると、「長崎に落とされた一発の原子爆弾が、7万3,884人もの命を奪いました(1945年末時点)」と出てきます。一般的には長崎の原爆で約7万人、広島の原爆で約14万人の方がお亡くなりになったと言われます。しかし、7万人も14万人も、原爆が落とされた1945年(昭和20年)12月末の時点です。今年の長崎平和記念式典では、この1年に亡くなられた被爆者など3,314人の名前が書き加えられた19万5,607人の『原爆死没者名簿』が、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の追悼空間にある原爆死没者棚に収められたと報道がありました。広島市の原爆慰霊碑には33万9,227人の『原爆死没者名簿』が納められています。長崎の原爆、広島の原爆で実に53万4,834人がお亡くなりになったことになります。
いまも原爆症などの身体的な障害に苦しんでいる方が多くいらっしゃいます。肉親や大切な人をなくした悲しみに心が深く傷ついたままの方が多くいらっしゃいます。わたしの知らない『実相』が多くあることも分かりました。わたしの中で原爆の悲惨さを風化させないために、『被爆者の思いを自分のこととして受け止める為の方法をまずしっかり考える(ブログR5.8.6)』とともに、『実相』を検証する必要性を感じています。
(としひさ)