母校・大分県立大分上野丘高校に、令和6年度320人の新入生が入学してきました。みんな、上野丘への入学を希望し、希望が叶って入ってきた子たちばかりです。みんなキラキラ輝いていました。
わたしの時は、「試験に合格しても必ずしも行きたい学校に行けるとは限らない」時代でした。『3校合同選抜』と呼ばれていました。受験生が希望校を指定し、その希望を一定程度考慮しつつ合格者を3校に振り分けるという制度でした。
目的は、2つです。
1.学力の学校間格差をなくす。
2.新設校の志願者が少なくなってしまう可能性を避ける。
合同選抜制度が最初に導入されたのは1951年(昭和26年)です。当時は2校でした。10年後の1961年(昭和36年)制度はいったん廃止されます。その12年後の1973年(昭和48年)今度は3校合同選抜として復活します。わたしが受験したのはこの制度の時です。その後4校合同選抜、その次は違う4校と2校の合同選抜、さらにその次は4校に2校+1校=3校の合同選抜と変遷していきます。そして1995年(平成7年)合同選抜は廃止されました。大分市と同じ合同選抜制度を実施していた別府市と中津市も同時期に廃止しています。
制度導入そして変遷の際、わたしの知らない背景が様々あったのかもしれません。現状を考えると、わたしは廃止してよかったと思います。
(としひさ)