“ぎっくり腰”をやって、4日目になります。『ぎっくり腰(急性腰痛症)』は、西洋では、痛みの激しさから『魔女の一撃』と呼ばれているそうです。幸い、まだ幼い魔女さんだったようで、お盆の期間中、何とか動くことが出来ました。それでも、クシャミをすると、今でも激痛が走ります。
3日前、8月13日の朝、タライに水があふれていました(雨漏りしてくる雨を受けるためのタライです。直径59センチメートルあります。ブログ7.22)。重くて、とても抱えきれません。まず、バケツでタライに溜まった水を汲み出します。それから、雨水が減ったタライを抱え、窓から外に流します。いつもの作業です。その日は、タライを抱えた瞬間、グキッときました。やったなと思いました。しばらく動かずにいました。
しばらくして、ソロリソロリと動いてみました。痛みはありましたが、動けました。お盆期間中の予定(仕事)を組み上げていたので、動けてホッとしました。痛みは今も続いています。
いつの頃からか、体の不調(痛み)は、『良くないことが起ころうとしているのを、間接的に知らせてくれるサインだ』と思うようになりました。今回の“ぎっくり腰”では、手帳に書いた予定をチェックして、漏れがないか確認しました。『腰の痛み』と『漏れ』と、何の関係もありません(笑)。
いつの頃からか、痛い思いをするだけだとなんだか不公平なような、損をしているような気持になってしまったようです。不公平・損をプラスにする手段は何かないかと考えたようです。そこで考え出したものが『危機・危険の未然防止』だったようです。
体の不調に対する、ネガティブ思考は避けることが出来る、ような気もしますが、やっていて、何やってんだと笑ってしまいます。
(としひさ)