おぼぱん?

としひさより

きのうのブログ(9.11)に、「我が家では、仏壇にお供えするご飯は『おぼっぱん』と呼んでいます」と書きました。ブログを観た長男が、「おぼっぱん、て言うんだ」と言っていました。一瞬、何のことか分かりませんでした。「んッ」と顔を上げると、長男の笑っている顔が目に入りました。私の方を向いて、「小さな『っ』が無い、おぼぱん、だとずっと思ってた。29年間生きてきて、ブログを読んで、初めて、おぼっぱん、だと知った」と言うのです。話を聞いていた妻も、「そういえば、小さい頃は、おぼぱん、おぼぱん、言ってたわねぇ」と笑っています。わたしには、おぼぱん、の記憶がありませんでした(笑)。初めて知る驚き?に、2人の会話についていけません。ただ、ただ、2人に合わせて、笑っているだけでした。

ベッドに横になり、天井を見ながら、考えました。『我が家では、わたしが生まれる、はるか前に、お仏飯(おぶっぱん)の呼び方が、おぼっぱん、に変わった。ブログが読まれないままで死んでいたら、今度は、おぼっぱん、が、おぼぱん、に変わっていたのかなぁ』などと考えました。なぜか、『悠久(ゆうきゅう)の時の流れ』(*1)などという言葉が、頭の中に浮かんできました。

ベッドに寝ころんだまま、天井から右に目を移すと、4代前からの遺影が並んでいます。寝ころんだベッドの先には、仏壇があります。ご先祖様の、『悠久の時の流れなどと、秋の気配が近づいて、ロマンチックに浸りたくなったのかい』といった声が、「似合わないよ(笑)」という声と一緒に聞こえたような気がしました。開け放した窓からは、かすかに虫の声が聞こえています。
(としひさ)

(*1)悠久の時の流れとは、はるか昔から現在に至るまでの時間の移ろいのこと、と辞書にありました。

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