鶏口

としひさより

午前中、車で大分市佐賀関に向かいました。途中、運転しながら、『祖父の座右の銘』が、なんとなく頭に浮かんできました。自分の過去や未来をぼんやり考えている時などに、浮かんでくることがあります。きょうも運転しながら「何か、過去か未来のこと」を考えていたのだと思います。

『祖父の座右の銘』は、『鶏口(けいこう)となるとも牛後(ぎゅうご)となるなかれ』でした。ネットで、改めて意味を検索してみると、『強い勢力のあるものにつき従うより、たとえ小さくても独立したもののリーダーになれ。鶏口はニワトリのくちばしを指す。牛後は牛の尻を指す。ニワトリのくちばしは小さな集団のリーダーの例えとして、牛の尻は大きな集団に従っている者の例えとして用いられる』とありました。

その『祖父の座右の銘』が、いつの間にか、わたしの頭の中で、一部言葉が替わっていました。頭に浮かんで来る時には、『鶏頭となるとも』で出てきていました。正しくは『鶏口』が、『鶏頭』に入れ替わっていました。
きょう、ネットで、改めて意味を検索してみて分かりました。『鶏頭となるとも』で入力すると『鶏口となるとも』で出てきます。一瞬、「鶏口でも鶏頭でも、意味は変わらないからいいか」と思いました。
ネットに『意味的には、ニワトリの頭部なので正しい気がしますが、間違いです』とハッキリ書いていました。
『鶏口はニワトリのくちばしのことで、くちばしは頭よりも前についています。つまり、一番高いところに、あぐらをかいているわけではなく、先頭で人々をリードすることを示唆しています』とありました。納得しました。頭の中を正しい言葉に入れ替えました。

『祖父の座右の銘』が浮かんで来た時、時々、取り留めもないことを思ったりもします。「もし、祖父が、鶏口ではなく、牛口=強い勢力のリーダーを目指していたら」という考えが浮かんでくることがあります。同時に、祖母の言葉『おじいちゃんは、石橋をたたいても渡らない人って言われていたのよ(笑)』(ブログ8.14)も、思い出します。
祖父の人生は、孫のわたしから見たら、家族や友人に囲まれた幸せな人生だったと思います。「祖父は、人生をやり直したいと思ったことはあったのだろうか」。祖父と、祖父の人生について語り合いたいと思った時には、もうこの世にいませんでした。亡くなったのは昭和54年9月26日、わたしが20歳の時でした。
(としひさ)

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