心の鬼

としひさより

わが家の菩提寺(*1)であるお寺から、毎月、宗派の新聞が届きます。

2月号の最初のページは「節分」についてでした。「節分と書くと、豆まきをしたり恵方巻を食べたりする『行事』の名前と思う人もいらっしゃると思いますが、本来は季節の分かれ目のことをいいます」「季節の分かれ目で、節分か」と、改めて節分の由来について興味深く読ませていただきました。

「鬼」について、新たな発見がありました。新聞では、「鬼」を自分の幸せへの執着、自身の心の中にある欲望、嫉妬深さ、強い物欲など、自身の「内面の問題(*2)」としてとらえていました。新聞を読むまで、病気や災害など外からやって来るもの(のみ)を「鬼」としてとらえていました。

今年の節分は、恵方巻を食べきることに意識が行き、節分の意味を全く考えていませんでした。わたしにとって1本無言で食べきることは、かなり必死にならなければ成し遂げられない作業です。食べきることに意識が行き、心の鬼を払うせっかくの機会を逃してしまいました。

幸い、調べた中に「節分は立春前の節分が特に重んじられるが、ほかに立夏、立秋、立冬もあるため、厳密に言うと節分は年に4回ある」と書いていました。次の立夏の節分では「心の鬼を払う機会」を逃さないようにしたいと思います。それまでに、自分の心にいる「鬼」は何か、しっかり見極めておきたいと思います。
(としひさ)

(*1)菩提寺: 先祖代々のお墓があったり、代々そのお寺の宗旨に帰依して葬儀などをお願いしたりしてきたお寺。
(*2)過去に、「内面の問題」という言葉を使ったブログ
R3.7.2『内面の問題』R3.11.14『水滸伝』R3.11.27『名前を呼ぶ時に

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